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快適なクライミングシューズを求めて・・・

アンドレア・ボルディーニ
作り手の顔が見えるクライミングシューズ

アンドレア・ボルディーニの両親は、フランスのラグジュアリーシューズ産業の中心地、ローヌ・アルプスのRomansで高級紳士靴・婦人靴を作ることを家業としていました。実際、フランスのラグジュアリーシューズのほとんどが、Romansと、その対岸にあるBourg dePeage.というふたつの町でつくられており、かつてはシャネル、シャルルジョルダン、イブ・サンローラン、ステファンケリアンといったフランスを代表するファッションブランドのほとんどすべてのラグジュアリーシューズを製造していた靴の町だったのです。
若い頃のアンドレアは、両親の工房で働き、素材、製法など、高品質で快適な靴作りのために必要な知識と技術を身につけていきました。
クライミングを始めたアンドレアは、ほかの多くの若者同様、たちまちその虜になりました。が、初めて彼が購入したクライミングシューズはその品質やその快適性について、とても満足の出来るものではありませんでした。
そこで彼は、仕事が終わったあと、夜ひとりで工房にこもり、自分のためのクライミングシューズをコツコツとつくり始めました。これがアンドレアの最初のクライミングシューズです。
ラグジュアリーシューズを作っていた経験と技術、足に関する深い知識により生み出された彼のクライミングシューズは、当初から売って欲しいといわれるほどのレベルの高さでした。
クライミングとの出会いから5年がたって両親が現役引退したのち、アンドレアは従来の仕事に加えて、新たにクライミングシューズの製造とリソールサービスをその事業に加えることを決意しました。両親から引き継いだ工房には、彼ともうひとりの職人しかいませんでしたが、この新しいチャレンジは始まりました。
アンドレアのクライミングシュービジネスの最初のクライアントはイギリス人でした。彼は、チョークボールとこのクライミングシューズを交換したのです。その際、この最初のクライアントは、快適なクライミングシューズにたいへん驚いていました。
「快適なクライミングシューズとういうものがあったのか!!!!!」
当時は、痛みのないクライミングシューズというのは、フィットしない、よくないクライミングシューズと考えられていた時代でした。
数年ののち、彼のクライミングシューズのラインナップは広がり、マーケティングも併せて開始した結果、今日の黄色いクライミングシューズが感ッ製したのです。
当初、彼はクライミングコンペの会場を積極的に訪れ、シューズのプロモーションをしました。平日は工房でリソールとシューズの製造を行ない、週末はフランス中でプロモーションのために回る、という生活でした。結果、彼のシューズを取り扱うフランスの小売店は年を追うごとに増えていきました。また小規模ながら海外での販売も始まりました。
2年前にアンドレアは新しい工房へ引越し、多くのスペースが生まれ、スタッフも10人を越えるほどになりました。
今でもアンドレアは毎日クライミングシューズの製造を行なっています。彼は高品質を求め、クライミングシューズの製造に芸術を求めています・・・



VACでは、このアンドレア・ボルディーニのシューズが在庫限りのSALEを行なっております。
詳しくはオンラインショップをご覧下さい。

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igarashi

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クライミングシューズ

1 comments

Comment

鈴木

2012.06.10 at 20:40  URL | Edit

安くなっていたので購入しました。
やっぱり作りがいい。
やや固いが立ちこみもいい。
インドアで履くにはもったいない。